February 24, 2006

繭ができるまで09ヤギ

つくばに住み始めた頃、広い土地がたくさん売りに出ているので、これはマイホームを建てるチャンス?とばかりに新聞の広告に目を光らせていましたが、多くの土地は、市街化調整区域でした。

市街化調整区域に建物が建てられる条件はいくつかありますが、住宅となると、もともと住んでいた家からの分家か、その地域に10年以上住んでいるか、土地が既存宅地(かつてその土地に家があった土地)であるとか、極めて条件が厳しくなります。そもそも、市街化調整区域というシステムは中途半端だな、と思ってしまいますが、それは置いておいて。要は、安くて広い土地は買っても住宅が建てられない土地だったので、マイホームの夢は長い間、空想の世界に突入していました。

ここで、夢のマイホームと、歯の浮くような言葉を書いてしまいましたが、私たちのマイホームとは、多くの人が思い描くマイホームとは、随分離れたものなのだろうと思います。

つくばに来て空想した家は、

家の裏は雑木林。庭には畑。畑と家の屋根はつながっている。
畑が山のように盛り上がって、盛り上がった部分が住居になっている。
その屋根の上にヤギが乗っている。

というものです。
で、更につくばの中心地に近い。

実際、ヤギはものすごく臭うので、住宅地では嫌われます。
ヤギを飼うのが難しいのであれば、家が完成したらヤギを借りてきて屋根に乗せて写真だけ撮ろう、などと空想していました。

こんな空想に合う土地もなく、この形状は空想に終わっていますが、ヤギがいる住宅の風景写真は欲しいなと今でも思っています。

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20:41:16 | sakura | | TrackBacks

February 23, 2006

繭ができるまで08温室

温室みたいな家でいいや。
と、うちではよく話していました。うち、といっても子供はいないので、夫と私だけの話です。

温室みたいな家でいいや。
の「いいや」には、どうせお金はかけられないから、という意味が入っているのと、あんまりがちがちにこだわりを入れなくてもいいし、というきもちが入っています。

つまり、ローコストで、テキトーで良いという、ちょっと斜に構えた感じなのですかね。自己分析すると。

しかし、この「いいや」は決して投げやりでも、あきらめているわけでもなく、実は逆に、その足りない部分こそが楽しめるのだという、積極的なものなのです。

温室みたいな家とは、天井の高いガランとした空間に、陽がさんさんと入って植物が育ち、土の匂いがするラフな作りで、そんな温室の一角をコア(ひとかたまりのまとまった空間)にして、下はトイレやキッチン、その上に寝るところがあればよいという感じのものです。

立派なリビングもダイニングも書斎も寝室もいらないし、ゴージャスなソファーもいりません。キャンプ生活みたいなのでいいかな。じゃない、キャンプ生活みたいなのが一番。

家への空想はつづく。

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19:09:38 | sakura | | TrackBacks

February 17, 2006

繭ができるまで07ローコスト

いかにして「繭」をローコストにつくるかを考えていました。
社会人で大学院に学び、住宅という、小規模なわりに手間がかかる仕事を丁寧にやっていて、もうかる筈がありません。

だから繭はローコストなのです。

ローコストにする方法はいろいろあって、
とにかく小さくする
安い材をつかう
部屋のしきりをなくす
などなど。。

安い材を使う時に、よくシナベニアをそのままか軽くクリアを塗って使ったりしますが、まゆでは、ざらざらでざっくりした感じを追求したいので、粗い杉板などを乱張りにしたいと考えています。つるつるときれいに仕上げるよりも、端材を貼り合わせたようなラフな感じで良いのです。ここでは、素材感、味わい、手作業のあとを表現したいし、そんなラフな空間で過ごしたいのです。

極端な話し、バラックを自分でつくる!でも良いのです。
狭いのも気にしません。

自由で楽しげ、そして渋く味わいがあって、自然との一体感があればOK。

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19:24:58 | sakura | | TrackBacks

February 15, 2006

繭ができるまで06農

かつての農村は、ムラ−ノラ−ヤマ−ノラ−ムラ・・・・・
というセットの繰り返しで出来ており、複雑な地形が生み出す水空間のつながりによって、多様な生き物が移動できたという守山さんの話(田んぼの勉強会にて)。また、水田の肥料とされた「かりしき」は春先にヤマで青い葉を刈り取ったもの。ももたろうに出てくる「おじいさんはヤマでしばかりに」の「しばかり」とは、「かりしき」を示すものだが、いつのまにか絵本に描かれたおじいさんが背負っているものは、青々としたかりしきではなく、枯れ木にすり替わって描かれている。ヤマにしばかりに行かなくなって、そのような基礎知識がなくなったからなのでしょうか。

かつてのヤマと関わる農村の生活は、自然の理にかなったものがあり、また人の営みが様々な生き物の生活空間を作りだしていたようです。
蝶の研究者である井上さんによると、

昔の田畑、特に谷津田のような場所では、水田の周りにいきなり林があったわけではなくて、林が田畑にかげを落とすことをを避けるために数メートルから10mほどの幅で樹を伐採して草地にしていた部分があり、これを「陰伐地」と呼んでいた。
そこで刈り取られた草は、当然牛馬の餌となり、あるいは「かりしき」になっていたはず。
そしてその部分はワラビやゼンマイやそのほか山菜の生育場所にもなっていたし、作業の間の休憩場所にも使われていた。
この陰伐地の部分は田畑の周囲にずっと続いていたので、幅は狭くても総面積ではかなりの大きさになる「草原」であったはずですで、現在では絶滅に瀕している草原性の生き物の生息地でもあった。ということです。

今の、生活スタイルでは、昔ながらの生活に後戻りするのも難しいと思いますが、「人が生活することで、保たれる自然環境」というスタイルは今の時代でも可能でしょう。あれこれ関わってみたいです。

難しく考えず、常に自然を感じながら、自然と関わりながら生活することはきっと簡単なこと。

「繭」はたとえ小さくても、そんな生活が可能になる家にしたいと思います。


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時空遊園

16:34:00 | sakura | | TrackBacks

February 14, 2006

繭ができるまで05春びより

節分が過ぎ、今日は春の陽気。花の匂いが風にのってやってきます。筑波山梅林は紅梅が咲き始めた頃かもしれません。

県道を北に上り、繭の敷地を横目に見ながら桜川の君島橋を渡って筑波庁舎へ。
60条の申請を出しに行きました。
敷地は都市計画区域外で既存宅地なので、確認申請の前に60条申請が必要。なかなか確認が出せません。しかも、仕事の合間に図面を用意しているので、月日がすぐにすぎてしまいます。しかし、それだけにじっくり設計を味わっています。



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