November 21, 2006

道具から考える幸福感


道具はよいものを求めたいと思います。特に毎日使う台所用具などは、がっちりしていてシンプルで素材感のあるものがよいです。そういうものは大事に使うし、壊れないし、壊れた時は直しに出したりするので、一生共にするものになるのではないかと思います。だから多少、その時は高いかな?と思っても、一生涯あるいは代々引き続かれることを思えば、そんなに高くはないだろうと思います。

包丁は、はがねのものがよいと思います。
しかし、すぐに錆びるので、ステンレス製のものが多く使われていますが、切れ味は、はがねの包丁にかないません。すぱっと切れる感触はなんとも気持ちよく、料理をするのも楽しくなります。
使い終わったらすぐに拭いて、大切に仕舞います。面倒と思えば面倒。
けれど、手入れ(というほどの手入れではないですが)をして物を大切にするというのは、実は、気持ちのよいものなのではないかと感じます。メンテナンスフリーのステンレスの文化包丁を使っていては、この、微少な気持ちのよさを味わえないために、もしかしたら、感覚がにぶったり、幸福感がなくなったりするかもしれないと、最近なぜだか強く思ってしまいます。

ステンレスの包丁に限ったことではなく、身の回りの様々な道具、そして住まいにも、使い捨てのものやメンテナンスフリーのものは、あふれています。

そういうものには、たぶん、存在感がない。本物でもない。殺伐とした雰囲気がどこかに漂っている。だから捨てやすいし飽きやすい。しかし、妙に丈夫だったりして、捨てるに捨てられない。棄てるときはちょっと罪悪感。

そんな気持ち悪さが無意識のうちに、人の精神に悪影響を及ぼしているかもしれないと、思ってしまいます。

よい道具を使った時の気持ちよさ、手入れした時の気持ちよさ、幸福感とはこういうものの積み重ねなのかなと思いました。

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13:34:41 | sakura | | TrackBacks