July 05, 2006

繭ができるまで21外と内のあいだ


かつての日本の家は、近くの山で樹を切り、茅や藁で屋根を葺き、地域の身近な材料でつくられ、また、開口部も大きく、まわりの環境との一体感が強かったのではないかと思います。

深い軒の下にある縁側は梅干しや大根を干したり、らっきょうの皮をむいたり、竹細工をしたりといったちょっとした作業場になり、かっこうのお昼寝の場所にもなります。その間、縁側は常にオープンで外の風が吹き抜けています。雨の日は、茅が幾重にも重なった分厚い軒の先から、雨が美しいしずくとなって落ちてくるのを眺めるのが風情です。防風林や生け垣や納屋に囲まれた広い庭と、雨風にさらされてほどよく角がとれた縁側の気持ちの良さ、そして、内はやわらかな畳、いぶした樹の匂い...。

こんな、住居を明治初期に日本を訪れたドイツの建築家ブルノータウトは絶賛したし、世界の巨匠の一人であるフランク・ロイド・ライトも、本人は日本の建築の影響を否定しながらも、影響を受けていたと言われています。アメリカでも、フランク・ロイド・ライトが活躍する少し以前から、カリフォルニアなどで、日本の建築が流行したようです。

しかし、現在は、前述のように豊かに庭を持ち、自分の山から樹を切って納屋に保管しておくことができる人は、極々わずかですし、茅葺きは、建築基準法により新築することができません。環境も、自然環境だけでなく安全面でも悪化していますし、生活も建築も多様化しています。

現代の生活と、環境のなかで、いかに自然との一体感が感じられるようにするか。縁側のような気持ちの良い空間をいかにしてつくるか。ということが、「繭」のテーマのひとつです。

縁側のような空間は、外部と内部をつなぐ空間と言えるでしょう。雨戸を開ければ外部と直接つながるけれど、屋根があって床もある。少し、内部的な性格の方が強いかもしれません。穏やかな周辺や庭の環境があってこそ引き立つ縁側空間に対し、「繭」では、「どちらかというと悪い環境である外」と「安心できる内」をつなぐ「外と内のあいだ」という性格づけになるのかもしれません。

「繭」は、必要最小限ー正確に言えば「繭の内部」は必要最小限のぎちぎちの小ささになっていますが、「外と内のあいだ」の空間が、実は無意識のうちにも結構な面積をとってしまっています。一見無駄とも思われがちな、「外と内のあいだ」が私たちにとっては重要なのですが、それは、自然との一体感を感じていたいという気持ちの表れなのだと、気づきます。




10:52:03 | sakura | | TrackBacks