October 25, 2009
大阪に行ってきました
昨日、大阪に行ってきました。廃棄物資源循環学会の関西支部が主催する「エコライフと住まい」というセミナーの講師として呼んで頂いたからです。20年ぶりの大阪でした。といっても、日帰りにしたので、梅田の駅前を少し歩いただけで、ビルの中にいて、すぐに新幹線で戻るというとんぼ返りだったので、大阪の町の空気はほとんどわかりませんでした。
セミナーの後、親睦会を開いていただいて、先生方と楽しくお話をしてきました。
関西の人々はフレンドリーで、初めてお会いした方とは思えない親しみやすさです。
エコライフについて考えさせられることも多く、とても勉強になりました。新たな元気をもらって帰ってきました。
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12:50:35 |
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October 21, 2009
屋根はみんなで葺く
茅葺き屋根は、生き物のようで、見ているだけで、あたたかく、かわいらしい。
しかし、時代とともに姿を消し、今残っているのはごくわずか。
屋根の材料に使う茅の生えている場所を茅場といい、集落の人たちで手入れをし、屋根を葺き替える時も、村人たちが手伝って皆で葺いたそうです。
先日訪問した「大塚家住宅」にも、皆で屋根に乗って葺き替えている写真が残っていました。
「大塚家住宅」は国指定の重要文化財として今でも、人が生活し、生きていますが、茅場は既になくなってしまったそうです。
地域の自然や人々と強いつながりがあってこその住宅。その住宅を保存するのなら、茅場も保存するのが本当の保存のしかたかもしれません。
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09:56:16 |
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October 20, 2009
今も残る茅葺きの家
建築と畑を一体化させようと試みている繭のイメージは、茨城県にある私の父の生家がもとになっています。農村の茅葺き屋根の家です。
茅葺き屋根の家は、暑い夏の日でも、家の中に一歩入れば、ヒヤリとすずしく、また、太い材木の匂いとも、いろりの匂いとも、土の匂いともつかない、独特の匂いがあって、心底いやされます。
1970年代まで、父の生家でも蚕を育てていて、土で突き固めたでこぼこした土間に、天井にまでとどくぐらいの蚕棚がありました。
蚕は、どの農家でも大切にされ、全盛期では座敷にまで蚕を置いたそうです。
蚕がむしゃむしゃと桑の葉を食べる音がする中で、夜は蚊帳を張って寝ました。
アオダイショウという蛇も家に棲んでいて、いろいろな生き物と一つ屋根の下で暮らしているようでした。そんな茅葺きの屋根の家が忘れられません。
今度の土曜日、大阪で講演をする機会を頂いたので、茅葺き屋根の家を紹介したいと思いましたが、父の生家はすでに瓦屋根に立替えられてしまっているので、国指定の重要文化財として今でも残っている「大塚家住宅」にお邪魔して、写真を撮らせてもらうことにしました。
繭から自転車ですぐの集落の中です。
あたたかみのある茅葺き屋根がありました。
土間に入ると、あの独特な匂い。
重要文化財として、展示物になっているのかと思えば、今でも茅葺きの母屋で生活をされているそうです。
常にいろいろな人が尋ねてくるので大変です。
しかし、とても親切にお話をして下さいました。今度は、お茶菓子でも持って尋ねたいと思います。
時が止まったようでした。
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10:40:24 |
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October 05, 2009
月あかり
10月3日は十五夜でした。土浦の花火大会もありました。前日、当日の昼も結構な雨でしたが、大会の時は雨はやみ、例年よりもあたたかく感じられました。
土浦の花火大会は、夏の花火と違って、秋風の中での鑑賞。雲が晴れると、満月の光であたりが明るく照らされました。
話は変わりますが
月あかり
という BARを以前に設計しました。
9月の連休は、九州の佐世保に帰省していましたが、夜な夜な 月あかりに通っていました。といっても、私たちは二人ともお酒は全く飲めないので、お茶をいただいて、ただただしゃべっていました。
庭のある BAR ですが、この庭は、駐車場やビルに挟まれて、BARの中からしか見る事ができない、秘密の庭です。
桐の樹が、いっそう大きくなって、森のようになっていました。
BARそのものも、駐車場の奥にあって、隠れ家的な存在です。
妙に居心地がよく、長居してしまいます。
佐世保に行かれた際にはお立ち寄り下さい。
月あかり
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19:20:47 |
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October 01, 2009
生活景
昨日の続きの話です。景観まちづくりの講演会では、
景観に関する体系的なお話と、まちづくりの事例の後に、「生活景」という講師の先生が提唱するキーワードが出てきました。興味深い視点だと思います。
生活景というのは、そこに人が住んでいる事によって生まれる風景で、例えば、洗濯物を干している様子とか、自転車が玄関先においてある様子とか、窓辺に花が飾ってある様子等々。人が生活している様子がかいま見えることによって、生き生きとした風景に見えるという解釈でしょうか。
それは、生活者それぞれが、まちの風景の要素を作り出していると言える訳ですね。
それを自覚する人が増えれば、まちはもっと洗練されてくるのかもしれません。
ただ、その時に、「土塀が古くなったから、偽石の塀に変える」というのでは、それまであった味わいや記憶はなくなってしまいます。本物を修理しながらでも長く使うという感性が、まちづくりという視点からも必要ですね。
17:31:53 |
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