November 23, 2006

桜川で思うこと


夏に護美の会で草刈りをした桜川の土手はどうなったかー。秋に見にいった時は、更にきれいに、おそらく茨城県が草を刈ってくれていました。そのおかげで、今日見ても見晴らしがよく、新たに投げ込まれたようなゴミもあまりありませんでした。

ゴミ池の横に広がる荒れ地にはカゼクサがふわふわとたくさん生えていました。


ススキの草むらの中には棒に空き缶を被せた「標的」がつくられていて、空気銃かなにかで撃った跡がついていました。

水に沈んだ、自転車や建材のがれきやもうなんだったのかわからないような廃棄物は、まだそのままで、時間がとまったままのようです。

ちょっと上流の方まで、土手をとことこと行くと、竹がごっそり重機で切られている場所がありました。

どこでもそうですが、重機による力は強くて、一瞬にしてそこの環境を変えてしまいます。それに比べて人間の手による力はあまりに小さくてはかない。ちょっと悲しいきもちになりました。けれど、その小さい力こそ大事にしなければならないのではないかと思っています。

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Posted by sakura at 04:06 P | from category: 護美の会の記録+桜川 | TrackBacks
Comments

すーぱーばーど:

僕の住んでいる家は桜川の土手まで、
わずか100メートルくらいのところにあます。
片付けることの苦手な僕が言うのもなんですが、犬の散歩道なのでよく歩くのですが、いろいろなゴミが捨ててあります。
電化製品、家ゴミ、小犬など様々です。
人はなぜ、川岸にこんなにも捨てるのかなといつも心が痛い。
これから年末にかけてさらに増えるだろう。
しかしそれは川に流され消えることはないのだ。
もし流されたとしてもそれはやがて海に。
またその水はまわりまわって空から山へ。
やがて輪廻のように同じ場所やそのゴミを捨てた人の口の中にも入るのでしょう。

今の日本人には回り廻ってわが身に帰る感覚はないのかな。
小さな手。心までもが小さくなってはいけないな。
(November 23, 2006 10:09 P)
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